人との出会いで変わる人生 後半

Bremenは地域、世代を超えて、コミュニティで居場所をみつけ、そこで成長し自分らしく生きていく人たちを応援しています。
今回、台湾で10万人のフォロワー数を達成した音楽家、”稲村ジョージ”(以下、ジョージ)さんの後半を紹介します。

ジョージさんが音楽家として開花したのは20代後半。
インディーズとしては遅咲きだった、そんな、ジョージさんが、世界に羽ばたくきっかけとなった物語をご覧ください。

 

台湾で始まる新たな挑戦、そして奇跡への甘え

自分らしさを再発見し、自分の進むべき方向性が見えた2016年末。ジョージさんは、代々木原シゲル(以下、シゲル)さんの後押しで、3か月でメジャーデビューを目指し台湾に行くことに。
海外に行くのは人生で2回目。台湾は一回も行ったことがなかったものの、背水の陣で臨みたかったデビュー。住む場所を調べるだけで、言語などの前情報なしで出国しました。
到着した台湾で目指した場所は、台北市内の日本人向けのゲストハウス。そこには、ジョージさんと同じように台湾で一旗あげようと思って来る人が集まり、台湾で屋台をやりたい人、事業を起こしたい人がいました。そのつてを頼ることで何とか、日本語を話せる台湾人女性と知り合います。

もともと台湾人は日本人に対し親近感をもっていること、そして3か月でデビューしたいという思いが通じたこともあり、意気投合し協力してもらえることになります。デビューのために始めたライブは、福島出身であるジョージさんにちなんだ、3・11の台湾からの義援金に対して、”ありがとうを伝える路上ライブ。台湾人の女性の翻訳したをもとに、最初の3か月間で臨んだ路上ライブは、台湾で活動するための仲間づくりのきっかけになりました。

台湾一周の路上ライブツアーを実施することにしました。台湾人のメンバーとめぐる台湾各地。台湾のほどよい人情感も相まって、良い意味でも悪い意味でも、環境に馴染み満足してきている自分に少しずつ酔いしれてしまいます。(3か月で、台湾の半周までを達成し、一度帰国)

次の3か月で、残りの半周を始めようと思い、台湾南端の観光地墾丁に到着。墾丁での路上ライブをきっかけに、今度はレストランのオーナーと意気投合し、人生初の音楽での仕事を請け負うことになります。契約は3か月間。朝昼晩付きで、夜の音楽活動でお金をもらえる。そんな初めての契約ということもあり、とてもうれしかった。ジョージさんはそんな奇跡に甘んじてしまい、今までにない満足感を得てしまったため、徐々に本来の目的を見失ってしまいます。

 

自分との闘い、再び背水の陣で臨む

そのタイミングで恩師シゲルさんが、ジョージさんの招待で台湾に遊びに来たことで、再び運命が回り始めます。シゲルさんは、現状に満足してしまい、本来の目的を見失っていたジョージさんの様子を見るや否やジョージさんにあることを提案。それは、今働いているレストランではなく、近くのクラブハウスで歌って実力を試してみようということでした。無茶ぶりを感じながらも、恩師に自分を見てもらいたいという思いをもとに、歌い始めます。そして、結果は・・・
3か月間、レストランの背景の様に歌を歌っていたジョージさんの歌で一部の客足が遠のいてしまう事態が発生してしまいます。ジョージさんは残っていたお客さんのことを思い、背景にならないかつてのライブをするように心がけ、徐々にお客さんの心をつかみ始めます。そして、かつて台湾に来て路上ライブで、熱い気持ちで歌を歌っていたことを思い出すのでした。

ジョージさんは本来の目的を忘れ、何も進んでいなかった自分に気づかされます。シゲルさんに感謝するとともに、再度変わらない自分と再び戦うことにしました。再び台北市に戻ったジョージさんは、路上ライブをいつでもできるよう、台北の原宿とも言える西門町に引っ越します。家賃2万、壁の厚みも全くないそんな住居を選択することで、あえて外で歌うことを心がけられるようになっていきました。
そして心機一転、背水の陣で再び望んだ活動。台湾の活動で一番の気づきが生まれます。

 

自分の職業を変える決意、そして世界に羽ばたく

西門町で始めた路上ライブは、いばらの道でした。しかし、いばらの道だからこそ、台湾の仲間とともに毎日アイデアを出しながらチャレンジすることができ、日々の学びが生まれました。そんなことをつづけること数か月。ハロウィンの時期に入ります。当時の台湾では、渋谷のように路上でハロウィンの恰好をして街歩きをするようなイベントがありませんでした。そこで、仲間と協力し、ハロウィンの恰好をして路上ライブをすることに。ライブ自体も盛り上がったのですが、何よりも収穫があったのは、当時台湾で30万人以上のフォロワーがいる三原慧悟さんの目に留まったことでした。背水の陣で臨み、そして毎日アイデア出しをしたことが報われる瞬間でした。

この路上ライブをきっかけに、ジョージさんと三原慧悟さんとのコラボが結成され、ジョージさんのSNSサイトもフォロワーがうなぎのぼりになります。しかし、始まりがあれば終わりがあります。もともと期間限定でのコラボだったこともあり、解散後にはフォロワーが上昇が停止。
ジョージさんはこの時、今一番求められているプラットフォーム(YouTube)にあわせること、そして人が集まっているところでエンターテインメントを創造することが大事だと気づきます。
今までは歌手としてメジャーデビューのみを目指し活動してきました。しかし、今までも自分のスタイルを変えてきたジョージさんにとって、今回の気づきは目から鱗。ミュージシャンというプライドを捨て、自分自身を台湾のファンに合わせ変化させるチャンスとなりました。

そして、職業をYouTuberミュージシャンとした、ジョージさんは台湾の仲間とともにアイデアを出し合いながら、YouTube動画を作成。その効果が徐々に現れ、ファンが集まります。そして、最終的には台湾のテレビ番組出演・歌番組イベントへ出演。職業は違えど、メジャーデビューを果たすことになります。フォロー数 10万人越え。稲村ジョージが世界に羽ばたいた瞬間です。

誰にでも人生のチャンスは何度かあります。
その時にチャンスの神様の前髪をしっかりとつかんで離さないことが大事です。
人との出会いはチャンスの神様との出会いです。
その出会いを求めて自分の居場所を探します。
自分らしさを磨くことは、周りの人へ波及します。

居場所があれば人は輝けます。
Bremenは輝く人が生まれるキッカケとその物語を提供していきます。

 

マジかよ小川町〜!

     

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