人との出会いで変わる人生 前半

Bremenは地域、世代を超えて、コミュニティで居場所をみつけ、そこで成長し自分らしく生きていく人たちを応援しています。
今回、台湾で10万人のフォロワー数を達成した音楽家”稲村ジョージ”(以下、ジョージ)さんの前半を紹介します。
ジョージさんが音楽家として開花したのは20代後半。
インディーズとしては遅咲きだった、そんなジョージさんが、世界に羽ばたくきっかけとなった物語をご覧ください。

変われない6年間

音楽家をめざしたきっかけは、森山直太朗「さくら」のミュージックビデオがきっかけ。
きっかけは些細なことでしたが、高校卒業後、あこがれのシンガーソングライターを目指し上京。
2007年に東京スクールオブミュージックに入学します。

仲間と楽しく音楽を学ぶ日々。そして、20代でブレイクする姿を夢見ていました。
しかし現実は甘くはなく2010年に卒業してからは鳴かず飛ばずの音楽活動。
路上ライブとバイトをしながらの日々を過ごして、あっという間に6年という年月がたち、変われない自分に気づきました。

現れる出会い

2016年、夢は終わりかとあきらめた時にふときっかけが訪れました。
友人に誘われ、とあるオーディションに参加することに。
久々に審査されるという思いだけで気持ちはすでに負け気味での参加。
もちろん審査結果にも自信がなく、そのまま帰ろうとしていました。
しかしその時、人生の師匠と呼べる代々木原シゲル(以下、シゲル)さんに出会います。

シゲルさんに、唐突に「合格!すごくよかった。最高だった」と言われたものの、今の自分に自信をもてずにいたため、6年ものブランクについて語ってしまいました。
そんなジョージさんにシゲルさんは、「今までの6年間は無駄ではないよ。6年間何もなかったからこそ、しがらみがなく、伸びしろがあるんだよ。」と諭してくれた。
ジョージさん自身、この時はなぜそういうことを言われたのか分からなかったものの、今までの自分を肯定してくれたシゲルさんに感謝するとともに、一歩を踏み出す勇気をもらいました。

変わる自分

シゲルさんとの出会いから、変わらなかった日々の流れが変わり始めます。
シゲルさんの紹介から音楽業界の人脈の渦に入り始めたのです。
6年のブランクから、自信のなさから入り込むのも躊躇していたものの、シゲルさんの後押しで自分の名前を覚えてもらうため、押し売りの自己紹介を実施。
多くの人とつながるきっかけになっただけでなく、自信のなさは、自分だけの小さな世界にいて、自分から外の世界に動こうとしていなかったことだと気づくきっかけになったのです。

自信がついて、ふとシンガーソングライターとしてCDを作りたいと思いたちます。
シゲルさんと相談したところ、兎にも角にも歌を15個つくるよういわれ、無茶ぶりだと感じながらも過去の作品も含め繕い、何とか13個ほどを完成させました。
そして、シゲルさんの発案で音楽業界の人脈の方に送って意見を聞くことにしたのです。
作詞に対する意見は厳しく、才能のなさも指摘され、自分のライターの能力のなさに気づかされる一方で、歌手としての素質については芽があることを再発見してもらいます。
プロの目を通すことで、自分が思っていた姿とは別のところに本当の才能が隠れていることに気づかされました。

自分の進むべき道

2016年のシゲルさんとの出会いは固定概念の打破の連続でした。
そしてシゲルさんの言う通り、何もない6年間があったからこそ、
殻にこもっていた自分を糧に、がむしゃらに人脈を作り、
そして自分の才能を振り返ることができたのだと気がつきます。

最終的に、シンガーソングライターというプライドを捨てる決心がつき、歌っているときのカリスマ性を高める方向に舵を大きく切ります。
自分らしさを再発見し、自分の進むべき方向性が見えた瞬間でした。
そして、カリスマ性を高めるべく、次のシゲルさんの後押しは、日本ではなく海外に出ちゃえという後押しです。
そして、更なる奇跡がはじまります。(後半に続きます)

誰にでも人生のチャンスは何度かあります。
その時にチャンスの神様の前髪をしっかりとつかんで離さないことが大事です。
後で後悔しない為に、人はチャンスをつかむために出会いが自分の居場所になります。
自分らしさを磨き、周りの人へ波及する。
居場所があれば人は輝けます。
Bremenは輝く人が生まれるキッカケとその物語を提供していきます。

 

マジかよ小川町〜!

     

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